先輩ママの授乳体験ストーリー
悪戦苦闘しながら完母でがんばりながら、
混合にしていったママ
みぃるママさん&あーさんちゃん(2歳)
乳腺炎や腱鞘炎になりながらも完母でがんばっていたみぃるママさん。
生後8か月のときに赤ちゃんの体重が減ったことをきっかけに、混合授乳に切り替えたそうです。
出産直後の授乳
- 比率
- 母乳10
産院が母乳奨励のところでした。出産後3日で乳腺炎になり、痛さで夜眠れず、看護師さんたちにマッサージしてもらったり、保冷剤で胸を冷やしたりしていました。胸が張っているのと、乳首の形がよくなくて、赤ちゃんの口に上手に乳首を含ませられず、入院中は授乳にとても疲れていました。退院後ひとりでちゃんと母乳が与えられるか怖かったです。
退院直後の授乳
- 比率
- 母乳10
母乳奨励の産院だったため、退院後も1か月健診の前に母乳外来がありました。子どもの体重の増えがあまりよくなかったので、再度母乳の与え方の指導があり、さらに後日にも母乳外来に行かなければいけませんでした。母乳を出すために必死でした。母乳外来では粉ミルクを足す指導は受けませんでした。粉ミルクの調乳の仕方も、両親学級で教えていただいただけの知識でしたので、後日粉ミルクをスタートしたときは細かなところがわからなくて苦労しました。
赤ちゃんとの生活に慣れてきた頃の授乳
- 比率
- 母乳10
乳腺炎に度々なりながらも最初に教えられた通りに母乳で通してきました。両手が腱鞘炎になり、左右15分近く授乳することが大変でした。また、子どもが便秘気味だったので実母に「母親が果物を食べると子どもの便が出やすくなる」と言われ(根拠があるのかは不明)、果物をたくさん食べさせてもらいました。
生後8か月の頃
- 比率
- 母乳9
- :
- 粉ミルク1
子どもが生後8か月のときに引っ越ししました。転居先の地域の育児サービスで、乳幼児の毎月の身体測定と育児相談があったので参加してみました。そうしたら前の月よりも子どもの体重が減っていると指摘され、私自身も引っ越しのストレスで母乳の出が悪くなったのではと不安に思っていたため、粉ミルクを足すことにしました。
それまで母乳にこだわっていたのは、母が昔、「私は母乳のみでお前たち兄妹を育てたから、みんな大きな病気がないんだ」とよく言っていたからだと思います。子どもを授かる前はスルーして聞いていたのですが、心に残っていたようで、自分が妊娠したときは「私も母乳で」という思いが強いものになっていました。
粉ミルクをあげ始めたときは、寝る前に100ml足しましたが、子どもは今まで飲んだことがなかったせいか、最初は嫌がって飲んでくれませんでした。少量でもいいから口に入れて、粉ミルクの味と哺乳瓶のゴムの乳首に慣れていってもらいました(シリコン製のおしゃぶりを与えたときに、何度あげても「ペッ!」と吐きだしていたのでシリコン製の乳首は使いませんでした)。最初は20mlからスタートして、本当に徐々に徐々に増やしていって、100mlまでいくのに数週間かかりました。その間は母乳と離乳食を与えていました。
生後10か月の頃
- 比率
- 母乳4
- :
- 粉ミルク6
子どもが10か月になる頃に保育園に入園しました。保育園にいる時は粉ミルクだったので、粉ミルク比率が自然と増えていきました。
卒乳エピソード
- 卒乳の時期
- 1歳1か月のとき
保育園に入っていたので、母乳は朝、夕、寝るときに授乳していましたが、あるとき夕方に欲しがらなくなり、しばらくすると朝に欲しがらなくなり、そして添い乳しなくても寝かしつけられるようになり、本当に自然に卒乳しました。私自身は2歳までおっぱいをあげる気満々だったので、ちょっと拍子抜けしました。