女の子を生みました(*^^*)♪ 壮絶で幸せな分娩の記録
2012.12.13
10月30日、午前6時36分。
2710グラムの女の子を生みましたo(^▽^)o
28日(日)の夕方、土日を利用して実家まで来てくれた旦那が、
家に帰ろうとするタイミングでした。
まるで赤ちゃんが帰らないでと引き止めるかのように、
前駆陣痛が始まったのです。
生理痛程度の痛みだったので「大丈夫だから」と言って、
後ろ髪引かれる様子の旦那を家に帰しました。
翌日の朝、目覚めたときも、痛みはまだ生理痛レベル。
「まだまだかな」
そう思っていたら、昼くらいに「おしるし」がっ!
少ない日の生理くらいの出血でした。
念のため病院に電話すると、まだ自宅で様子をみてくださいとのこと。
痛みはそんなに強くなかったので、
私も病院に行くほどではないなと思いました。
少し不安を感じ始めたのは、その日の夕飯どきくらいから。
痛みがだんだん強くなってきたのです。
夜中になって産気づいたら困ると思い、
病院に連絡を取ってみたものの、まだ自宅待機。
明日の朝一で先生に看てもらいましょうということになりました。
初産婦の場合、痛みが10分間隔になったら病院に行くことになっています。
このとき既に痛みは10分間隔。
でも我慢できる痛みだったので、自宅待機を受け入れました。
「本当に病院に行かなくて大丈夫なのか!?」
そんな不安でいっぱいになったのは夜の11時くらい。
まだ普通にしゃべれるレベルではあったものの、
生理痛を超えた痛みが5分感覚で襲ってきたのです。
診察は翌日の8時半。
「このままどんどん痛みが強くなったらどうしよう」
「明日の朝まで我慢できないんじゃないか!?」
心配する母親の後押しもあり、もう一度病院に電話。
それでもまだ自宅待機。
「けっこう痛いのに・・・。」
「でも自宅待機ということは、まだまだ陣痛とは呼べない痛みなのか!?」
初めての経験のため、いったいどれくらいまで我慢すればいいのかわかりませんでした。
さらに痛みが強まり、母に背中さすってもらわないと耐えられない程に。
それでも我慢しようとする私を見かねて、母が病院に電話をしてくれました。
そこでやっと病院に来るようにと言われました。
そのとき既に痛みの感覚は3分。
夜中の2時半。
父と母に支えられながら、車の中へ。
ただならぬ様子に起きてきたじいちゃんと妹に見送られ、
病院に向かいました。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
大男に鈍器で思いっきり殴られたような痛みが
定期的に襲ってきました。
殴られたときと違うのは、その痛みが一瞬ではないこと。
徐々に強まり、最大の痛みになって、引いていく。
その間10秒強くらい。
痛みがきている間は声を出すことができません。
そんな状態にも関わらず
「このまま痛みが引いてしまったらどうしよう。」
「朝まで待てたじゃんと思われたら嫌だな。」
なんて車の中で考えていました。
病院に着く頃には、支えられても歩けない状態に。
意識も朦朧とし始め、車椅子に乗せられて陣痛室に向かいました。
体重測定、着替えを終えて、倒れこむようにベットへ。
すると10分もしないうちに破水。
出かけるのが少し遅かったらと思うとゾクッとしました( ̄◇ ̄;)
そこからがまるで悪夢。
「よくこんな痛みになるまで我慢しましたね」
「子宮口が3センチ開いてますよ、がんばりましたね~」
と助産師さん。
あなたたちが自宅待機と言い続けたからでしょうがっ(ーー;)
陣痛の感覚がどんどん狭まり、収まったと思ったら、
すぐにまた最強の痛みが!
こうなると黙ってはいられません。
「ぐあ゛ーーーーっ!!」
断末魔のような叫び声。
夜中の病院にさぞ響き渡ったことでしょう(^^;
「"あ~っ"って叫ぶと力が上に抜けちゃうから、がんばって口の形を"う"にして」
「そうすれば"ふ~"って息が吐けるから。」
と助産師さん。
でもどうしても「あ゛ーーーっ」と叫びたくなりました。
呼吸が止まってしまうかのような痛みのため、
「ふ~っふ~っ」と呼吸をするのが、とても難しいのです。
「ぶ~っぶ~っぶ~っ!!」
呼吸がうまくできないので「あ~」じゃなく「ぶ~」というのが精一杯。
「そうそう、上手上手」
助産師さんが励ましてくれました。
「はいっ、力抜いて~。落ち着こう」
「力抜かないと、赤ちゃんが苦しいからね」
一緒に陣痛室へ入った母も私の呼吸に合わせ
「ふ~っふ~っ、がんばれ~、ふ~っふ~っ」と。
手を休めることなく背中をさすってくれました。
父も陣痛室を仕切るカーテンの外側で「ふ~っふ~っ」
でも男の人はこういうときに弱い。
娘が苦しんでいる姿を見たくなかったんでしょう。
母が「中に入って背中をさすってあげなよ」と言っても、
「俺はいい」と言って、父は入ってくることができませんでした。
それに比べ、母親は強い!
一緒にいてくれたことが、どれほど心強かったことか。
ドンっドンっドンっ
声だけでは収まらなくなり、
ベットの脇を殴って気を紛らわしました。
永遠に続くかのような痛み。
逃れる方法はただ1つ。産むしかありません。
ながーい時間が過ぎ、やっと分娩室へ。
「もう少しがんばったら、この痛みも終わるんだっ」
そう思うと少し元気が出てきました。
「赤ちゃんの頭見えてきたよ~」
「今ちょうど一番狭いとこに頭があって、がんばって出てこようとしてる」
「だからすごく痛いと思うけど、がんばって」
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
陣痛のタイミングに合わせて、精一杯いきみました。
赤ちゃんの力と私の力。
二つの力を結集して、外へ外へ。
産道が開ききっている感覚がありました。
「赤ちゃんが通ってる!」
このときは赤ちゃんに会いたいという気持ちより、
早くこの痛みから解放されたいという一心。
先生と助産師さんが会陰部を切る話をしているのがわかりました。
あれほど怖かった会陰部切開。
切ってもいいから、
とにかく早く赤ちゃん出してほしいと思いました。
会陰部切開の話が出るということは、本当にもうあと少し。
ありったけの力を振り絞って、いきみました。
すると温かい液が流れ出る感覚とともに、赤ちゃんの産声が。
2012年10月30日、午前6時36分。
私が育んだ命が、この世に誕生した瞬間でした。
私のお腹の上に乗せられた赤ちゃん。
とても小さくて軽いはずなのに、その重みはずっしりと確かなものでした。